リビングルームの向こうに ~バビロン再訪 #5~
バブルはマンションの間取りに関してはなにも生み出さなかった。 分譲マンションの間取りがエキサイティングだったのは、バブルの前の1980年代前半の時代だ。 第4次マンションブームの後、大量の在庫を抱え、販売不振にあえぐ市況を打開するために、さまざまな商品企画の工夫と新機軸の間取り開発が競い合われたのがバブル前の80年代前半だった。...
View Article「建築の日本展」を観て<前編>~千利休の国宝茶室・待庵の内部空間擬似体験~
「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」(2018年4月25日~9月17日@森美術館)を観てきた。 監修を務めた建築家で建築史家の藤森照信は、日本の建築家の基礎体力は木造建築にあり、石造建築の技術を発展させてきた欧米とは対照的であり、木造建築がベースにあるということが、日本建築の個性を生み出していると述べている。...
View Article「建築の日本展」を観て<後編>~丹下健三自邸の1/3スケール巨大模型~
「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」(2018年4月25日~9月17日@森美術館)では目玉として2つの巨大模型による作品が展示されている。 <前編>では、妙喜庵待庵(みょうきあん・たいあん、1581年、京都府)の原寸模型を見たが、<後編>では、すでに現存しない丹下健三自邸(A Houuse/Tange...
View Article夢の跡を訪ねて<上>~建築家が設計した分譲マンション~
■photo by scarletgreen -中銀カプセルタワービル/CC-BY2.0 現在、著名な建築案が分譲マンションを設計するとはほとんどありません。 著名とはなにか?は議論があるところですが、建築界以外にも広く一般に名前が知られた、ということにしておきましょう。...
View Article漱石山房とウイリアム・モリスのレッド・ハウス
「私は建築家になろうと思ったのです」。夏目漱石の言葉だ。 大正3年(1914年)東京高等工業学校(現在の東京工業大学の前身)での講演で漱石は続けてこう言っている。...
View Articleシンプルの系譜<6> ~桂離宮~
モダンデザインを一言でいうとシンプルなデザインということになるだろう。 広辞苑には「シンプル」とは「単純なさま」とある。シンプルとは、色・かたち・素材が簡素で抑制されているさまである。...
View Article住宅は車に憧れ、車は住宅を夢見る<上>
18世紀のフランス宮廷社会では、現代人が車に寄せるのと同様の興味と関心が、家具に対して寄せられていたそうだが、20世紀にモダニズムが誕生した時から、車と住宅はお互いを強く意識する関係だった。 住むための機械、車のような住宅。ル・コルビュジエの《シトロアン住宅》 ル・コルビュジエは1917年、30歳で故郷スイスからパリに出て1920年に「エスプリ・ヌーヴォー」紙を創刊し、数々の提案を世に問うてゆく。...
View Article建築家の住宅論を読む~吉村順三~
皇居新宮殿(基本設計)、奈良国立博物館新館(日本芸術院賞受賞)、国際文化会館(前川國男、板倉準三と共同設計)などの著名建築を手がけた建築家吉村順三は、戦後日本の建築界を代表するひとりであり、明治生まれの気骨のようなものを感じさせるその風貌からして重鎮と呼ぶにふさわしい建築家でした。...
View Article住宅は車に憧れ、車は住宅を夢見る<下>
住宅は車に憧れ、車は住宅を夢見る。独自の哲学と技術をもって、その両方の歴史に、余人には到底およばない足跡を残したのがバックミンスター・フラーである。 空飛ぶ車を目指したバックミンスター・フラーの《ダイマクション・カー》 バックミンスター・フラーによる車の開発構想は、ダイマクション・トランスポートと称されて、その最終目標は空を飛ぶことに置かれていた。...
View Article夢の跡を訪ねて~建築家が設計した分譲マンション<中>~槇文彦《広尾ホームズ》と内井昭蔵《桜台コートビレッジ》
「夢の跡を訪ねて~建築家が設計した分譲マンション~<上>」に続いて建築家が設計を手がけた分譲マンションを訪ねます。 永遠のベスト&スタンダード。槇文彦の《広尾ホームズ》 《広尾ホームズ》(1972年)は、我が国のモダニズム建築の重鎮であり、プリッカー賞受賞建築家である槇文彦が設計した分譲マンションです。...
View Article夢の跡を訪ねて~建築家が設計した分譲マンション<下>~圓堂政嘉《目黒ハウス》と吉村順三《ヴィラージュ目黒》
原稿初出のsite「マンションライブラリー」を主宰する東京カンテイさんの事務所はJR山手線の目黒駅の駅前にあります。その東京カンテイさんの事務所から徒歩10分余りにところにある目黒区三田二丁目界隈は、ヴィンテージマンションのメッカとして知る人ぞ知るエリア。今回は東京カンテイさんのご近所に、建築家が設計を手がけた分譲マンションを訪ねます。...
View Article建築家の住宅論を読む~藤森照信『昭和住宅物語』~
『昭和住宅物語』(新建築社、1990年)は、建築家であり建築史家である藤森照信が、昭和の名作住宅を訪ねる探訪記です。 現存(1980年代当時)する昭和の名作住宅を実際に訊ね、設計した建築家やその関係者から話を聞き、世界の巨匠建築家からの影響を見定め、今の住宅につながるルーツを探り、今まで知られてこなかった当事者だけが知る内幕が語られます。...
View Article建築家の住宅論を読む~ル・コルビュジエ『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』~
「住宅は住むための機械」と言ったル・コルビュジエは、一方で次のような言葉も残しています。 「住宅は家族の神殿だと思っている。人間の幸せのほとんどがそこにある」、「なぜ住宅に携わろうと思ったのか?問題の解決に近づくことで人々の苦悩を軽減したかった。結局は生きる喜びをもたらす仕事が好きなんだ」(★)...
View Article建築家の住宅論を読む~松村秀一『「住宅」という考え方 20世紀的住宅の系譜』~
日本の街並みを作っているのは、建築家とは無縁のなかでつくられる、ごく普通の住宅です。 松村秀一『「住宅」という考え方...
View Article建築家の住宅論を読む~安藤忠雄『家1969→96』と『安藤忠雄 住宅』~
建築家の槇文彦は、1970年代に、おもに個人住宅作品によって世に登場した当時の若手建築家たちを「野武士」と命名しました。(「平和な時代の野武士たち」、『新建築』1979年10月号) 間接的な言及ですが建築家・安藤忠雄も「野武士」の一人として名前が挙げられています。...
View Articleもうすぐ改修予定の坂倉準三のアンスティチュ・フランセ東京<前編>
新宿区市谷のアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院・1951年)は本年(2019年)、建築家・藤本壮介によって改修・増築の予定だ。最初の建物が完成してから今年で57年、改修前に坂倉準三のマスターピースを再訪した。アンスティチュ・フランセ東京は、新宿区船河原町の、市ヶ谷台地へと上る逢坂が始まるところに建っている。高台の敷地に建つその姿は、しばしば丘の上の客船と形容される。...
View Articleもうすぐ改修予定の坂倉準三のアンスティチュ・フランセ東京<後編>
再訪したアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院・1951年)では、今年(2019年)改修・増築を迎えるにあたって、「建築家・坂倉準三 パリ-東京 生き続ける建築」展(2018年9月6日~10月21日)が開催されていた。...
View Article集合住宅はユートピアの夢を見るか? ~バビロン再訪#6~
ライブラリー、フィットネススタジオ、パーティルーム、スタディルーム、ミュージックスタジオ。ゴルフスタジオ、キッズルーム、ゲストルーム、スカイラウンジetc.先日、訪れた勝どきのタワーマンションの共用施設である。 階数は40階を超え、総戸数は1400戸超、おそらく3000人を超す人々が住むタワーのエントランスは人の出入りも頻繁だ。...
View Articleのマンションづくり ~バビロン再訪#10~
「月曜日から札幌に行って欲しい」。上司のT課長はたいそう簡単にそう告げた。1986年の6月最後の金曜日のことだ。 札幌での役目は、西洋環境開発が札幌で初めて取り組むマンションの商品づくりの助っ人だった。入社2年足らずの現場も知らない若造でも猫の手ぐらいにはなるだろうという訳だ。...
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