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羽田整備場~東京坂路地散人vol.23~

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 失われつつある東京の坂と路地を訪ね歩く「東京坂路地散人」シリーズ。
   
 人影のない茫漠たる風景に惹かれて羽田周辺にはまっております。今回はvol.21の弁天橋付近に続いて旧整備場あたりを歩いてみました。
  
    
 「天空橋」駅を出て環八からみた旧B滑走路の南端あたりの風景。既に空が広い。
      
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 モノレールが地下に潜るところ。地上付近を走るモノレールが見られるのもこの辺りだけだろう。

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 モノレールの「整備場」駅。ロボットの顔だ。

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 お目当ての廃墟化した案内所のような建物。2014年1月25日放映の「タモリ倶楽部」で取り上げられていた建物だ。
    
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 利用されなくなってから既に相当年月がたっているのだろう、鉄骨は錆び放題、カウンターのガラスも割れたままで放置されている。「東京国際空港」というネームがあるところをみると、入口に設けられたゲートハウス的な建物であったことが分かる。
  
     
 実は1955(昭和30)年に専用の旅客ターミナル(今でいういわゆる旧ターミナル)が出来るまでは、羽田空港の中心の機能はここ旧整備場にあった。

 モノレールなどない時代、ここが羽田空港へのメインエントランスだったのだ。
     
 何故、メインエントランスにゲートハウスのような建物があったのか?かつては空港に入るためには受付への申告のようなものが必要だったのだろうか?はたしてこの建物の役割はなんだったのだろうか?「タモリ倶楽部」でもその辺のことには言及されていなかったのだが、帰ってから調べてみるとようやくこの建物のがあった訳が分かった。
 
            
 米軍に接収されていた羽田の飛行場が日本に返還されたのが1952(昭和27)年7月。そこに「東京国際空港」という名称で羽田空港がオープンする。
   
 ただしその時返還されたのは敷地の一部だけであり、旅客ターミナルなどの施設もなく米軍施設の一角に小さな旅客用の施設があっただけ、という状況だったらしい。
   
 さらに敷地の大半が米軍基地のままであったため、羽田空港への入場の際には入場票が発行さ れていたのだそうだ。この辺の事情は、羽田空港半世紀の歴史<復興編>というサイトが詳しい。

 
 同サイトに掲載されている入場票の写真を見ると裏側に「軍用建物には入らないこと」などの注意書きが記されており、当時の状況を物語っている。
       
 こうした事情から考えると、おそらくこの建物はまさにゲートハウスとして入場票の発券などを通じて米軍敷地内(の羽田空港)への入場者を管理をするための建物だったのだろう。
  
 新たなターミナルが作られ、エントランスとしての機能もなくなり、既に無用になったこの建物だけが、ぼろぼろの廃墟化した状態で忘れられたように残されている。安全や美観にうるさい今の時代にあって稀有なことだ。一般客には縁遠い整備場だからこそ許されているのかもしれない。
   
      
 この廃墟化したゲートハウスにしろ、vol.21でみた弁天橋の袂に移設された鳥居にしろ、羽田付近にはこうしたいわくつきの戦後の遺構がひっそりと残されているところが面白い。
 
 羽田空港が日本に全面返還されるのは空港オープンの6年後の1958(昭和33)年。ちなみにモノレールが開通するのは1964(昭和39)年、東京オリンピックの年だ。
  
         
 機能を最優先してつくられた整備場内のビル。モダンな潔さが今みると美しい。

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 レストラン「ブルー・コーナー」。夜は宴会もできるそうで「タモリ倶楽部」によると焼きそばが絶品とのこと。残念ながら週末は閉店だ。

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 ANAの第一格納庫と第二機体工場を解体撤去した跡地が剥き出しの土のまま広がっている。現在の整備機能の大半は沖合いに設けられた新整備場に移転している。
 
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 遠くに見えるフェンスの先はN地区と呼ばれるプライベートジェットなどの発着に使われる滑走路だ。旧A滑走路の北端あたりにあたる。 
        
 東京でこんなに人のいない巨大な空き地を見られるのもここ羽田空港ならではだ。
 
         
 永井荷風は人工的に作られた荒川放水路の渺茫寂漠たる風景に慰藉を見出した。「その何が故に、また何がためにであるかは、問詰められても答えたくない。唯おりおり寂寞を追及して止まない一種の欲情を禁じ得ないのだというより外ない」(「放水路」)。

 近代化が都市のエッジに生み出した荒涼たる風景。そうした風景に慰藉される逆説的な心性を生み出したのもモダンというものであった。
       
 さらなる工業化産業化を経た我々もまた「荷風」を生きざるを得ないとするならば、こうした都市のなかに出現した空漠荒涼の風景に深い慰藉を覚えたとしてもなんらの不思議はないのである。
  
  
  
        
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